「時評」

静岡新聞に時々掲載されている私の「時評」です。

2024年11月 6日 (水)

南トラフ地震臨時情報(巨大地震注意)の発表で考えさせられたこと

                                   -日本災害情報学会 News Letter,No.99,p1,2024.10に掲載-

 

 8月8日の日向灘で発生した地震速報を運転中のラジオで聞き、まず正月の能登半島地震のような大被害にならなければ良いのだがという思いが胸をよぎった。震源の深さが30kmと聞き少し安堵したのだが、次の心配は南海トラフ地震への連鎖である。気象庁の速報でM7.1とのことから検討が始まり、間もなく南トラフ地震臨時情報「巨大地震注意」が発表された。

 

 その時、ハタと思考停止したのは、新幹線を始め鉄道各社はどう対応するのか、高速道路は? 銀行の窓口は? 買いだめにスーパーやコンビニに行列ができるのではなど、お盆前で人々が大きく動こうとしている時期と重なり色々な心配事がよぎるのだが、各事業者の対応計画がはっきりしない。

 

 気象警報や地震情報など様々な災害情報を受け止める国民に向けて、的確に行動するためには普段からの情報リテラシーが重要であるとの言葉を専門家から聞くことがよくある。しかし、今回の臨時情報の発表をもって政府は国民に何を促がそうとしたのかがよく分からなくなってしまった。政府のコメントを要約すると「身の回りの防災点検を行い、普段どおりに行動してください」であるのだが、果たして、私たちの生活に密接な鉄道や高速道路など交通機関やライフライン、身近なところではスーパーやコンビニがどんな対応をするのかなどがほとんど知らされていない。津波や土砂災害のリスクが高く突発地震では助からないかもしれない地区に住んでいると、やはり不安から避難したほうが良いのか迷ってしまうのが普通であろう。それでも普段どおりの生活を続けるべきなのか。こうした一人一人の不安に対して答えがないまま、結局何も変わらない普段通りの日常が続いていったのが今回の経過ではないかと想像している。

 

 基本的には我々を取り巻く地域社会がどのように対応するのかを、対応の限界も含めてしっかり示すことで初めて、一人一人の適切な行動判断が生まれるのではないだろうか。これは今回の臨時情報に限ったことではなく、災害が切迫する中であっても、様々な事態への対応やその限界を明らかにし、リスクを肌で感じることができて初めて、種々発せられる災害情報に応じた一人一人の的確な判断が生まれるのではと考える。

激甚災害が多発する日本 援護調整へ防災省設置を

                                             -2024/11/6 静岡新聞「時評」掲載-

 

 2011年の東日本大震災では、全国から消防や警察、自衛隊などの救援部隊が駆けつけても、被災した自治体の災害対策本部で活動の調整ができずに大混乱が続いた。岩手県大槌町のように、町長をはじめ多くの職員が犠牲になった自治体ではなおさらである。市町村を補完する都道府県の役割は大きいが、1995年の阪神・淡路大震災では、兵庫県の災害対策本部も職員の参集がままならず、情報収集や自衛隊などへの救援要請が大幅に遅れた。

 

 今年の元日の能登半島地震でも、自治体職員の被災や不慣れもあり、全国から応援職員が入っても災害対策本部の混乱が続いた。本部が混乱し関係機関との調整ができないと、被災者の救助や支援が大きく遅れることとなる。

 

 その背景には、市町村や都道府県の職員数の著しい減少がある。1994年ごろの328万人をピークに減少が続き、2023年は280万人と、48万人(15)も減っている。その大半は一般行政職であり、業務の効率化や外部委託により職員を減らしてきたが、大災害などで業務が急増した時には対応しきれない。全国の自治体が協力し、災害時に被災自治体へ職員を派遣する体制も構築されてきたが、被災地での司令塔にはなり得ない。

 

 近年は地球温暖化の影響もあり、洪水災害は激甚化している。さらに、懸念される南海トラフ巨大地震や首都直下地震の被害は甚大で、国難となる大災害が見込まれる。こうした事態に備え、国として防災機能の強化は必然であるが、現在の政府には防災専任の省庁は存在せず、内閣府の防災担当が担っているに過ぎない。職員数も約150人と少なく、各省庁からの出向者のため23年で異動し、業務経験の蓄積には至らない。

 

 政府の防災業務には、被害軽減のためにハード・ソフト両面からさまざまな予防対策を行い、災害発生時には各省庁を束ねて救援活動を調整する司令塔となることが求められる。被災した自治体を一刻も早く支援し、被災者の救援につなげることが必要である。このためには常設の組織は不可欠であり、ノウハウを蓄積した専任の職員が平時から各自治体や関係機関と連携を取っておくことが重要となる。

 

 政府として、平時から災害時まで一貫して防災の司令塔となる防災省を設置することは、自然災害の多い日本では必須ではないだろうか。

2024年9月26日 (木)

高齢化と人口減少を見据え 防災体制の再構築を

                                                                                                   静岡県立大学グローバル地域センター客員教授

                                                                                                   静岡大学防災総合センター特任教授 岩田孝仁

 

 今、日本社会では少子・高齢化と併せ急速な人口減少が進んでいる。先日(2024724日)、総務省が発表した住民基本台帳に基づく人口動態調査によると、今年11日時点での外国人を含む総人口は124485千人(内外国人は3323千人)で、昨年に比べ53万人が減少し(0.42%減)、外国人を除く日本人住民だけでみると86万人の減少(0.70%減)である。都道府県別にみると増加したのは東京都(0.51%の増)と沖縄県(0.01%の微増)のみで、減少率の最も高い秋田県は1.74%減、青森県が1.63%減、人口規模が全国10位の静岡県(人口3606千人)でも0.75%減と減少は大きい。一方で、全国の65歳以上の高齢者の割合は昨年の28.62%に対し28.77%と、0.15ポイントの増で、増加は続いている。

 

 大地震や水害などで、建物やライフラインなど社会・経済活動の基盤となる多くのインフラが破壊され、さらに多数の犠牲者が出てしまうと、地域の経済やコミュニティ活動も滞り、地域社会を元通りに立ち直るためには大変な困難が立ちはだかる。今年の元日に発生した能登半島地震が襲った石川県の奥能登地域は、少子・高齢化の進行と併せ人口減少が進む中山間地域を抱える地方の自治体の典型的な姿であり、こうした地方の町や集落を今回の震災が襲った。

 

 発災直後から全国の消防、警察、自衛隊が被災地に駆けつけ救出・救助活動が続けられ、被災自治体を支援するため国や全国の自治体職員、さらに、多くの災害ボランティアが現地で活動を続けている。しかし、発生から8か月が過ぎても倒壊した家屋などのがれきが残されたままの地域がまだ多くあり、住宅が確保できないことや上下水道が復旧しないため、未だに避難生活を余儀なくされている住民も多い。

 

 石川県の報告(2024826日現在)によると、今回の地震で住宅の全壊5,913棟、半壊16,245棟の被害が発生し、震災から半年がたっても公費解体を希望する27,319棟に対し解体完了は3,014棟、解体着手は9,315棟と、合わせても12,329棟(45.1%)である。応急仮設住宅の完成が5,644戸、着工が6,745戸であり、市町や県の設置した避難所での生活者が736人との事である。こうした実態を見ても、復旧に向けての障壁が未だに多く残されていることが伺われる。

 

 能登半島地震の被災地から見えてくる今後の防災上の課題とともに、どのような対応が求められるかを列記してみる。

 

 課題1 建物の既存不適格が許されている現状(耐震性が不足する建築物などの改修が進まない大きな原因でもあり、現在の耐震基準に適合しない既存不適格建物の改修の義務化も視野に検討が必要)

 

 課題2 防災上も看過できない空き家問題(所有者が不在で耐震化も望めなく劣化が急速に進行するため、撤去を促すためには小規模な街区にも面的な区画整理事業の導入も視野に検討が必要)

 

 課題3 中山間地域の孤立をいかに避けるか(人口減少に伴い道路網が脆弱なまま取り残されている中山間地の集落では強靭な通信網やヘリポートの確保が急務)

 

 課題4 避難者などの情報を一元的に集約する仕組みづくり(様々な支援が被災者一人一人に漏れなく行き渡るためには必須で、DXを活用したシステム化が求められる)

 

 課題5 災害関連死をどう防ぐか(災害救助法の救助業務に福祉業務を明確に位置付け体制の確保が重要)

 

 

 以下には、こうした課題の解決には法令改正も必要と考える「建物の耐震化」と「災害関連死」について述べておく。

 

 ひとつ目は、新しい耐震基準に適合しない既存不適格建物の改修の義務化である。

 

 全国の平均では木造住宅の耐震化率が87%(2018年現在)とのことであるが、能登半島地震の被災地の奥能登地域では耐震化率50%前後の自治体が多い。45年前から東海地震対策を進めてきた静岡県でも、耐震化率60%前後の自治体は決して例外ではない。経済活動の活発な大都市域は建て替えや新築需要も多く、結果的に耐震化率は高くなる。一方、地方の小規模な集落では建て替え需要は少なく、耐震補強工事に対し自治体が補助制度を用意しても補強工事はなかなか進まない。不特定多数が利用する商業施設なども含め、建て替えや補強工事の判断を所有者の決断だけに委ねていては進まないことも多く、各自治体も苦労している。

 

 日本の法体系では、新たに制定された法律や条例の基準を過去にさかのぼって適用することはほぼ無い。いわゆる「法令の不遡及」が原則である。そこに一石を投じたのが消防法である。消火設備の不備などからデパートや旅館で多くの犠牲者を出す火災が1970年前後に相次いだ。人命に大きく影響することから、1974年の法改正で既存施設にも新基準を適用し、スプリンクラーなどの消火設備の設置や定期的な検査が義務付けられた。いわゆる「法令の遡及適用」である。

 

 建物の倒壊が命に直結することを考えると、消防法と同様に建築基準法に関しても法令の遡及適用の考えを取り込み、新しい耐震基準に適合しない既存不適格建物の改修に関しては一定の猶予期間を設けての義務化も視野に、諸制度の見直しを行う時期に来ているのではないかと考える。

 

 

 ふたつ目は、災害関連死を少しでも防ぐため災害救助法を改正し、災害時にも福祉サービスが途絶えることのないよう福祉業務を災害救助法の救助業務として明確に位置付け、必要な要員や体制の確保を図ることである。

 

 近年の災害では、高齢者や障がい者など要支援者の避難が間に合わず犠牲となる事態がしばしば起きる。20187月の西日本豪雨では岡山県倉敷市真備町で発生した洪水による犠牲者51人のうち42人が高齢者など要支援者であった。また、避難生活の困難さから犠牲になるケースも目立ち、2016年の熊本地震では直接の犠牲者50人に対し災害後に犠牲となった災害関連死は220人以上に及んだ。能登半島地震でも災害関連死が既に110人を超えている。多くは高齢者などで、避難生活中に持病の悪化などから犠牲になった方が多いと聞く。

 

 災害時に自治体が救出や救助活動、避難生活支援などを実施する法的根拠となる災害救助法には具体的な活動の種類が列記されている。意外に思われるかもしれないが、列記されている救助の種類には避難所や応急仮設住宅の供与、炊き出し、医療や助産、被災者の救出、住宅の応急修理などはあるものの、福祉の項目が欠如している。災害救助法が制定された77年前の1947年当時とは異なり高齢化がかなり進んだ現在は、障がい者だけでなく高齢者への介護など様々な福祉業務が社会保障制度として整備されてきた。しかし、災害救助法には福祉業務がいまだに位置付けられていない。

 

 現に災害が発生すると、普段から福祉業務で要支援者をサポートしている社会福祉協議会や地域の包括支援センターが協力し、個別の支援調整を行うケアマネジャーや民生・児童委員、保健師・看護師、さらに災害ボランティアも関わって支援を行うことになるのが実態である。災害時も福祉業務を途絶えさせないためには、早急に災害救助法を改正して福祉業務を災害救助活動の業務としてきちんと位置づけ、災害時の支援員や活動資金の確保など総合的な活動体制を整備することが急務でないかと考える。

 

 

 今年も既に梅雨時期を挟み各地で水害が発生している。7月には東北地方を中心に3日間の降水量が400ミリを超えるなど記録的な大雨となり、山形県など広範囲に洪水被害が発生した。地球温暖化の影響もあり、近年は毎年のようにこうした記録的な集中豪雨が発生し、既存の河川堤防を越流したり破堤したりして大きな水害が発生するようになった。本稿を起草している最中にも、本州を縦断中の大型台風10号がもたらす記録的な豪雨が続いていて、大きな被害にならないことを祈るばかりである。

 

 地震や水害、火山など自然災害の脅威は常に私たちの身近に存在する。これまでも様々な知見をもとに防災対策が講じられてきた。その一方で高齢化や人口減少など社会構造そのものが今までになく急速に変化している。さらに迎え入れる災害外力も過酷になってきた。こうした社会構造や災害外力の変化に併せて、これまでに様々取り組んできた防災対策や諸制度は常に時点修正しながらブラッシュアップしていく必要がある。そのためにも今起きている社会の変化が災害時にはどのように影響するのか想像力たくましく想定し、関係者も市民も互いに情報を共有して的確な対処方法を準備しておく必要がある。

 

注)本稿には静岡新聞の2022年3月2日朝刊、及び2024813日朝刊の「時評」欄で、筆者の投稿文の一部を引用したことを断っておく。

 

   静岡県立大学グローバル地域センター研究員リレーコラム

   https://www.global-center.jp/column/column1/20240910/index.html

 

2024年8月20日 (火)

災害時の福祉業務 救助法改正で位置付け明記を

                                                                                                                -2024/8/13 静岡新聞「時評」掲載-

 

 先日、裾野市で行われた富士山噴火を想定した災害図上演習に参加する機会があった。登山規制や高齢者などの避難準備に始まり、噴火が始まると溶岩流が市街地に近づくという切迫した状況も示された。多くの住民の広域避難をどう行うかなど、住民グループと市のやりとりも緊迫したものであった。その過程で、高齢者施設では100人規模の入所者の避難が迫られ、搬送手段や市外も含めた避難先の調整を誰が行うのかなど、さまざまな課題が浮き彫りになった。

 

 近年の災害では、高齢者や障がい者など要支援者の避難が間に合わず犠牲となる事態がしばしば起きる。20187月の西日本豪雨では岡山県倉敷市真備町で洪水による犠牲者51人のうち42人が要支援者であった。また、避難生活の困難さから犠牲になるケースも目立ち、2016年の熊本地震では直接の犠牲者50人に対し災害後に亡くなる災害関連死は220人以上に及んだ。今年の元日に発生した能登半島地震でも災害関連死が既に110人を超えている。多くは高齢者など要支援者で、避難生活中に持病の悪化などから犠牲になったとみられている。

 

 意外に思われるかもしれないが、災害時に自治体が救出や救助活動、避難生活支援などを行う法的根拠となる災害救助法には、具体的な活動の種類として避難所や応急仮設住宅の供与、炊き出し、医療や助産、被災者の救出、住宅の応急修理などはあるものの、福祉の項目が欠如している。災害救助法が制定された77年前(1947年)とは異なり高齢化がかなり進んだ現在は、障がい者だけでなく高齢者への介護などさまざまな福祉業務が普段の社会保障制度として整備されている。しかしながら災害救助法には福祉業務がいまだに位置付けられていない。

 

 現に災害が発生すると、普段から福祉業務で要支援者をサポートしている社会福祉協議会や地域の包括支援センターが協力し、個別の支援調整を行うケアマネジャーや民生・児童委員、保健師・看護師、さらに災害ボランティアも関わって支援を行うことになるのが実態である。災害時も福祉業務を途絶えさせないためには、国としても早急に災害救助法を改正して福祉業務を災害救助活動の重要な役割として位置付け、災害時の支援員や活動資金の確保など総合的な活動体制を整備することが急務である。

2024年5月17日 (金)

小集落の防災機能確保 都市計画の手法活用を

                                               -2024/5/16 静岡新聞「時評」掲載-

 

 急速な人口減少と高齢化が進む日本の中でも、地方はその傾向が顕著である。今年の元日に発生した能登半島地震は、まさにそうした地域を襲った。突然の災害で過酷な負荷がかかった時、地方の小集落がどう生き残っていけるかは日本社会の大きな課題である。

 

 日本列島のどこに住んでも地震発生の可能性はある。地震対策には住宅の耐震化が基本であり、全都道府県の平均では耐震化率が87%(2018年現在)とのことであるが、今回の被災地の能登半島では50%前後の自治体が多い。地震対策を進めてきた本県でも、耐震化率60%前後の自治体は決して例外ではない。経済活動の活発な都市域は建て替えや新築需要も多く、結果的に耐震化率は高くなる。一方、地方の集落では建て替えは少なく、自治体の補助金があっても耐震補強はなかなか進まない。人口減少や高齢化が進むと、個人の決断だけに委ねるのでは限界に近づいている。

 

 さらに、空き家の増加も耐震化を阻害する要因になる。総務省の23年住宅・土地統計調査では、全国の空き家率は13.8%、本県も16.6%と調査のたびに増加傾向にある。高齢化とともに人口減少が拍車をかけ、県内でも空き家率20%を超える自治体もみられる。耐震性の乏しい空き家が増加すると、地震時に避難路をふさぐなど大きな問題にもつながる。南伊豆町では老朽化などで災害時に危険となる空き家の撤去に、自治会からの申請があれば最大300万円を補助する制度を立ち上げた。画期的な取組みである。

 

 将来を見据えると、中長期の視点から公共事業として街並みの再生に取り組まないと解決できないところへ来ている。解決するためには自治体が主体となって都市計画的な手法を活用し、地方の小さな集落でも防災機能確保のため通路を拡幅して避難路を整備するのも一つの方法だ。空き家が目立つ地区では、その撤去に併せて小規模でも街並みの再整備を行うことを考える必要がある。

 

 もともと都市計画では、街の均衡ある発展と公共の福祉の増進を目的とし、安全で安心して暮らせて産業の発展にも寄与することが大前提である。こうした都市計画事業の枠組みを、大都市に人が集中し経済が右肩上がりだった時代の発想から人口減少社会に対応するよう大きくかじを切り、地方の集落再生や経済安定にも目を向けた制度へと方向転換していくべきであろう。

2024年5月 1日 (水)

住宅耐震化 中長期の街づくりへ視点を変える

                                                                                   -日本災害情報学会 News Letter,No.97,p3,2024.4に掲載-

 

 急速な人口減少と高齢化が進む日本の中でも地方はその影響が一層顕著である。今年の正月に発生した能登半島地震はまさにそうした地域を襲った。災害などで過酷な負荷がかかった時に、地方の小さな街並みがどう生き残っていけるかは日本社会の将来を見据えた課題でもある。

 

 地震被害の防止に構造物の耐震性確保は基本である。特に、住宅の耐震化は最優先だが、全国平均の耐震化率は79%に対し、今回の被災地の能登半島では50%前後の自治体も存在する。経済活動が活発な都市域は建て替えや新築需要も多く、結果として耐震化も進んでいく。一方、人口減少や高齢化が進む地方の集落では古い住宅の建て替えは進まず、空き家の増加も目立ち、自治体の補助制度があっても耐震化への取り組みがなかなか進まない。高齢化が進む中、個人の決断だけに委ねるのはそろそろ限界で、将来を見据え中長期の視点から公共事業として街並みの再生に取り組まないと解決できないところへ来ている。

 

 例えば、都市計画事業として、防災機能確保のため避難路や救援路を整備する街路事業や、空き家の目立つ地区では小規模でも面的な土地区画整理事業として自治体が主体となり街並みの再整備を行うことも可能である。元々、都市計画では、単に整然とした街を作るのが目的ではなく、都市の均衡ある発展と公共の福祉の増進を目的とし、安全で安心して暮らし産業の発展にも寄与することが大前提である。なにも大きな都市域だけが享受する制度ではなく、地方の小さな集落でも中長期的な視点に立ち、都市計画的な手法を活用し安全でかつ経済活動も呼び込める街に改造していくことが必要である。

 

 都市計画事業全体の枠組みを、人が大都市に集中し経済が右肩上がりの時代発想から人口減少に大きく舵を切り、地方の集落再生や経済安定に目を向ける時代に来たと考えるべきである。

2024年3月 4日 (月)

限界を知り共有する重要性

                                            -月刊「建設」,Vol.68,2024.3月号に掲載-

 

 人の営みに比べ自然の営みははるかに長い。災害現場に行くと、「長年住んでいてまさかこんな災害が起こるとは思わなかった」とよく耳にする。ここでの「長年」とは、住み始めてせいぜい数十年の人もいれば先祖代々百年、二百年の人もいる。しかし、自然の営みに比べるとはるかに短い。さらに、「起こるとは思わなかった」の言葉の裏には、日々の生活の中で「起きるか起きないか分からない災害のことはあまり考えたくない」との気持ちも交錯している。日本の多くの都市では1950年代から70年代の高度経済成長期を境に都市郊外に市街地が急拡大していった。過去の災害経験を引き継ぐことなく開発が進んでしまったことは、災害に対して人々の想像力が欠如していく大きな要因とも考えられる。

 

 私の住む静岡平野の様子を少し考えてみる。急流河川の安倍川が駿河湾に流れ込む扇状地の扇央付近は標高20m前後で大雨での浸水リスクは低く、地盤は砂礫質で地震時の揺れの増幅が小さい。こうした一帯に既に今川義元の時代には居城が構えられ駿府の町が形成されていた。伏流水が豊富で多くの人口を抱えても水には困らない。約100年前、1918年の国土地理院の旧版地形図を見ると、江戸時代から続く駿府の町割りがそのまま静岡市の中心市街地として発展している。一方、その南や東に広がる広大な氾濫原低地には集落はほとんど形成されず、平野の東に位置する有度丘陵縁辺部の微高地に集落が連なっている。

 

 現在は様相が一変し、軟弱地盤で田や湿地が広がっていた氾濫原低地を含め平野のほぼ全域が市街化区域となり、最低限の遊水機能を残す湿原が市街地の北東部に残るのみである。市街化区域の拡大に伴い下水道や排水機場の整備、浸水常襲地帯を通る巴川の流路改修やバイパスとなる大谷川放水路が整備されるなど、一定の治水対策が行われてきた。ただし、整備目標はこの地の既往最大として記録が残る19747月の七夕豪雨で、静岡市内の時間降水量の最大84.5㎜、12時間降水量508㎜、24時間降水量740㎜である。

 

 20229月の台風15号に伴う集中豪雨で、静岡市内の最大の時間降水量は107.0㎜、12時間降水量404.5㎜、総降水量410.5㎜を記録した。観測地点などが異なり単純比較できないが、七夕豪雨に迫る豪雨であった。堤防の破堤には至らなかったが、かつての水田など低地に拡大した市街地では堤防からの越水や内水氾濫で広く浸水し、あまり警戒していなかったため多くの住民が混乱した。

 

 こうした静岡平野の土地利用の変容は日本の地方都市近郊でよくみられる。日本の高度経済成長期を境に、私たちを取り巻く自然環境は大きく変化した。河川・海岸堤防や下水道の整備、交通基盤の充実など都市インフラの整備に伴い、従来はあまり人が生活しなかった軟弱な低地や丘陵地にも大規模な住宅地や産業施設が進出した。一見安全に見える市街地が形成され、私たち自身その土地が本来持つ固有の災害脆弱性を認識し難くなっている。いわゆる「そんな災害」は日常生活の中で想像できなくなったところに盲点がある。ちょっとした豪雨で浸水する地域には住まないことも生活の智恵であった。木曽三川の河口付近に見られる輪中提や水屋を整備する文化もそうした智恵の一つである。市街地の拡大に伴い様々な防災施設を整備することは必要な反面、災害を未然に防ぐという地域社会が持っていた智恵の低下につながることがいなめない。

 

 過去何度も津波に襲われてきた三陸沿岸地域も同様のことが伺われる。三陸沿岸は1896年の明治三陸津波、1933年の昭和三陸津波、1960年のチリ地震津波と、近代だけでも3度の大津波を経験してきた。集落の高台移転も行われたが、日常生活や経済活動のためには多くの地域は津波防潮堤などの施設整備で一定レベルの安全確保を行ってきた。例えば、2011年東日本大震災で多くの犠牲者を出した岩手県大槌街の沿岸には、震災前に高さ10mの津波防潮堤が建設されていた。避難訓練などでは高台への避難が促されていたが、2011年の大津波の際には、まさかこの堤防を津波が超えることはないだろうとの過信からか、大津波警報が出され避難が呼びかけられても避難しない住民も多く、役場庁舎にいた職員も同様であった。そのため、大槌町の犠牲率は8.1%、浸水区域内に限定すると10.7%と1割を超える住民が犠牲になった。高齢のため避難をためらう住民、支援に回った民生委員や消防団員の犠牲も多く、10mという高さの防潮堤が万能でなく、防御の限界を超え津波が襲来する危険性を事前にどこまで共有できていたかが大きな問題である。

 

 この文を草稿するさなかに「令和6年能登半島地震」が発生し、強い揺れによる建物倒壊、土砂崩落、ライフラインの寸断、そして津波、延焼火災などで大きな被害が発生した。犠牲になられた方々のご冥福を祈るとともに一日も早い復旧・復興が願われる。震源域は日本海東縁部の歪集中帯の一画で、2020年末から群発地震活動が続き十分な警戒が必要な地域であった。耐震化を始め様々な事前の備えがどこまで徹底できていたかどうかが気にかかる。

 

 自然界の猛威は既往最大だけには収まらない。地震や火山活動だけでなく、近年は地球温暖化の影響もあり日本列島各地で豪雨記録を更新している。整備してきた施設の災害抑止力の限界を超えた時に、どんな事態が身の回りで発生するのかを容易に想像できなくなってしまったことが防災を進めるうえでの大きな課題である。構造物などハード面での整備だけでなく、避難など人々の行動面においても、地震動や津波、豪雨に対し整備してきた施設や体制が備えている機能がどこまでサポートしているのか、その限界をきちんと理解し広く伝え、ユーザーなど関係者皆がその限界をしっかり共有しておくことが重要である。そうすることにより、初めて限界を超える外力に対してどう対処するかを考え、具体的な対応につなげていくことができる。

2024年2月21日 (水)

能登半島地震 自分事に 防災対策 実効性担保を

                                                                                                              -2024/2/20 静岡新聞「時評」掲載-

 

 まさに災害は時を選ばず起きる。元日に発生した能登半島地震では多くの建物が倒壊し、斜面崩落、直後に襲来した津波、延焼火災などで多くの犠牲者を出した。寒さ厳しい中、地域を結ぶ道路網、電気、水道、通信など生活を支えるライフラインも各所で途絶え、情報や交通が遮断された孤立集落が多数発生し、救助活動も困難を極めた。とりわけ高齢化と人口減少が進む地域を襲ったため、その後の避難生活も大変な苦労を伴っていることが日々の報道から伝わってくる。

 

 今回の震災を契機に自治体など多くの機関で防災体制の再チェックの動きがある。その時、ぜひ取り組んでいただきたい重要な要素が二つある。

 

 一つは「性能の表示」である。構造物などハード面の対策、応急活動や備蓄などソフト面の対策について、個々の能力と限界を確認して誰もが分かるよう示すことである。能力と限界が共有できれば対策の具体化につながっていく。洪水や土砂災害、津波のハザードマップはある意味で、その土地の性能を示すものの一つである。同様に、多くの人が利用する公共施設や旅館・ホテル、商業施設なども、耐震性能や防火能力、非常電源や備蓄などそれぞれが保有する性能を示し、利用者に理解を促すことも必要である。地域の災害対応力も、防災倉庫に何が備わりどう活用できるのか、いざという時に頼れる人材は誰かなど、準備してきたさまざまな対策を個々の性能として示しておくことである。

 

 性能を理解した上で、二つ目として、さまざまな対応計画をBCP(事業継続計画)、BCM(計画実行のマネジメント)の視点でチェックし、実行性を担保することである。計画を具体的に実施する人材や活用できる資源、それを動かす仕組みを確認し、災害で施設被害や職員の被災、交通・通信などの障害が発生する中、計画を実行するためのネックはどこにあり、不足する資源や代替手段は何かを確認しておく。日ごろの点検や訓練を通じて問題点をあぶり出し、実行可能な対応計画へと常に見直しておく。こうした日常のマネジメントがなければ計画は陳腐化し、いざという時に役立たないことが往々にしてある。

 

 今回の能登半島の震災を自らのことして、関係機関にはいま一度、防災対策の再構築を図られることを期待する。

2024年1月30日 (火)

災害時事務分掌の重要性

                                     -研究レターHem21 Opinion,Vol.81,2024.1月号に掲載-

 

 毎年1月になると、阪神・淡路大震災の発生当時の課題が様々よみがえる。印象に残る一つが大災害に遭遇した自治体の行政事務の混乱である。震災当時、静岡県職員であった筆者は、地震後から応援調整のため兵庫県庁に入り、被害の激甚さや行政内部の大混乱に直面した。当時の兵庫県副知事であった芦尾長司氏がぽつりと漏らした言葉が印象的であった。氏の手元には静岡県地域防災計画 東海地震対策編、19801月策定の初版が置かれていた。発災直後の早朝、災害対策本部の会議を開こうにも幹部職員がほとんど集まってこない。そんな大混乱の中で、これから何が起きどう対処しなければならないのかを考えるため、静岡県の地域防災計画を改めて読み直していた、とのことであった。

 

 当時の兵庫県の地域防災計画には震度7を想定するような大規模地震災害を想定した災害応急活動の視点が欠けていた。実は、芦尾氏は東海地震対策を始動させた1979年頃の静岡県知事公室長として筆者の直属の上司であり、地域防災計画に東海地震対策の対処計画を位置付けるため、大規模地震で想定される様々な事態に遭遇した際の応急対策を毎夜遅くまで議論した一人でもあった。計画策定の最大の懸案は、起きる事態への対処を「だれ」が責任者として対応するのかを具体的に規定することであり、行政機関内部においても議論の多くはそこに費やされた。大規模災害へ対処する法的な枠組みが災害対策基本法をはじめ、まだ十分整っていなかった時代のことである。

 

 一般的な行政事務では、災害時によく言われる臨機な対応は基本的に苦手である。それは、平時の行政事務は基本的に各法に基づく自治事務や法定受託事務が主であり、各部局の事務の所掌範囲は行政組織規則などで細かく規定されている。そうはいっても、目的を達成するための若干の裁量権は事務遂行上でも認められてはいるが、なかなか普段の行政事務の中では基準のない執行行為を担当者の裁量では行わないのが一般的である。そういう平常時の視点で物事を考えると、災害、それも普段はあまり意識していないとてつもなく大きな混乱が生じる激甚災害に遭遇すると、裁量権の行使まで思考が及ばなくなってしまう可能性がある。こうした事態を回避するためにも、平時から災害時に起き得るあらゆる事態を想定し、その対処には行政事務のどのような制度を活用し、どこの組織がどの時点で対処するのかを定めた具体的な対処計画を策定しておくことで、初めてさらに枠を超えた対処にまで対応が動き出せる。

 

 静岡県が東海地震対策を推進する初期の段階で、予め事態を想定し対応主体を決めていく作業はとても重要であった。さらに、兵庫県を始め、阪神・淡路大震災の被災自治体に多くの職員が応援に入り、その経験から静岡県で早速取り組んだのが19957月に策定した300日アクションプログラムである。あらゆる災害応急対応業務を大きく30項目に整理し、300日で総点検し、個々の災害応急業務を極力マニュアル化する作業であった。例えば応急仮設住宅の建設戸数確保や早期建設の為、民有地も含めた建設可能予定地を可能な限りリストアップし、建設可能戸数だけでなく可能なものは配置レイアウトまで準備してデータベース化した。その後、こうした点検結果をもとに災害応急事務の業務分析を行い、約2年をかけて全庁的に所属毎の災害時の事務分掌を事細かく定めて地域防災計画に規定していった。こうした作業を通じ、普段は必ずしも防災や危機管理を意識してない部局であっても、災害時に自ら対処すべき業務が見える化された。

 

 災害時に発生する様々な業務を予め分析し、実施主体を明確にしたうえで対処計画にまとめておくことができれば、事前の準備も可能になる。さらに、災害時に思いもよらない新たな事態が発生しても、そこに対応できる組織の余力が生まれる。何もない平時こそ、こうした議論を積み重ね準備しておくことが重要である。近年は、企業や行政機関においても災害時の事業継続計画(BCP)の策定が検討されるようになった。こうした検討に併せて災害時の業務分析を全組織で行い、災害時の事務分掌として規定しておくことを、企業や組織のトップはぜひ意識して進めておかれたい。

                 

                               阪神・淡路大震災記念 人と防災未来センター 上級研究員 岩田孝仁

2023年11月21日 (火)

災害時のリスク認知 行動ゆがめる偏見注意

                                                                                                            -2023/11/21 静岡新聞「時評」掲載-

 

「ものをこわがらな過ぎたり、こわがり過ぎたりするのはやさしいが、正当にこわがることはなかなかむつかしい」(原文ママ)

 

 これは明治から昭和にかけて活躍した物理学者、寺田寅彦が浅間山(群馬県、長野県)の小規模噴火に遭遇して残した言葉である。災害など、私たちの身の回りに起きるリスクに対して的確に行動するためには、そのリスクを正しく認識し、寺田が述べたように「正当にこわがる」ことが重要である。しかし、往々にして私たちは自分勝手にそのリスクを理解し、時には無視し、時には過大視して行動することがある。こうした傾向はリスク認知のバイアス(偏り)と呼ばれ、いわゆる先入観や偏見が邪魔をして行動がゆがめられてしまう。

 

 リスク認知のバイアスはさまざま報告されている。よく知られるのは「正常性バイアス」で、身の回りに危険が迫るなど異常な状況でも、何とか普通の状況であるように理解しようとする傾向である。災害時に避難の遅れにつながることからよく問題視される。身に迫るリスクを楽観的に解釈し、心理的ストレスを軽減しようとする「楽観主義バイアス」も同様の問題を抱える。

 

 一方で、過去に遭遇したリスクに対して成功したわずかな経験だけで判断し、新たなリスクに対する状況判断を誤らせてしまう「ベテランバイアス」も問題である。逆に、経験のないリスクに対して過大に、もしくは過小に評価し、正確なリスク認知が得られない「バージンバイアス」も問題になる。

 

 さらに、大勢の人がいると、自分本来の判断とは異なっていてもとりあえず周囲に合わせようとする心理が働くことがある。「同調性バイアス」と呼ばれ、雑踏などで集団が制御できなくなり、時々大きな事故につながることがある。

 

 危険が身に迫っているにもかかわらず、避難など本来の退避行動が取れずに犠牲にならないよう、リスク認知のバイアスを少しでも正していく必要がある。しかし、リスクを正しく認識し、それを的確に判断して回避することは大変難しい。今月から来月にかけて、県内各地域ではさまざまな研修会や防災訓練が行われる。ぜひこうした機会に身の回りの災害リスクをしっかり確認し、災害時の行動を再点検して、リスク認知のバイアスからの解放を目指していただきたい。

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