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2024年3月

2024年3月 4日 (月)

限界を知り共有する重要性

                                            -月刊「建設」,Vol.68,2024.3月号に掲載-

 

 人の営みに比べ自然の営みははるかに長い。災害現場に行くと、「長年住んでいてまさかこんな災害が起こるとは思わなかった」とよく耳にする。ここでの「長年」とは、住み始めてせいぜい数十年の人もいれば先祖代々百年、二百年の人もいる。しかし、自然の営みに比べるとはるかに短い。さらに、「起こるとは思わなかった」の言葉の裏には、日々の生活の中で「起きるか起きないか分からない災害のことはあまり考えたくない」との気持ちも交錯している。日本の多くの都市では1950年代から70年代の高度経済成長期を境に都市郊外に市街地が急拡大していった。過去の災害経験を引き継ぐことなく開発が進んでしまったことは、災害に対して人々の想像力が欠如していく大きな要因とも考えられる。

 

 私の住む静岡平野の様子を少し考えてみる。急流河川の安倍川が駿河湾に流れ込む扇状地の扇央付近は標高20m前後で大雨での浸水リスクは低く、地盤は砂礫質で地震時の揺れの増幅が小さい。こうした一帯に既に今川義元の時代には居城が構えられ駿府の町が形成されていた。伏流水が豊富で多くの人口を抱えても水には困らない。約100年前、1918年の国土地理院の旧版地形図を見ると、江戸時代から続く駿府の町割りがそのまま静岡市の中心市街地として発展している。一方、その南や東に広がる広大な氾濫原低地には集落はほとんど形成されず、平野の東に位置する有度丘陵縁辺部の微高地に集落が連なっている。

 

 現在は様相が一変し、軟弱地盤で田や湿地が広がっていた氾濫原低地を含め平野のほぼ全域が市街化区域となり、最低限の遊水機能を残す湿原が市街地の北東部に残るのみである。市街化区域の拡大に伴い下水道や排水機場の整備、浸水常襲地帯を通る巴川の流路改修やバイパスとなる大谷川放水路が整備されるなど、一定の治水対策が行われてきた。ただし、整備目標はこの地の既往最大として記録が残る19747月の七夕豪雨で、静岡市内の時間降水量の最大84.5㎜、12時間降水量508㎜、24時間降水量740㎜である。

 

 20229月の台風15号に伴う集中豪雨で、静岡市内の最大の時間降水量は107.0㎜、12時間降水量404.5㎜、総降水量410.5㎜を記録した。観測地点などが異なり単純比較できないが、七夕豪雨に迫る豪雨であった。堤防の破堤には至らなかったが、かつての水田など低地に拡大した市街地では堤防からの越水や内水氾濫で広く浸水し、あまり警戒していなかったため多くの住民が混乱した。

 

 こうした静岡平野の土地利用の変容は日本の地方都市近郊でよくみられる。日本の高度経済成長期を境に、私たちを取り巻く自然環境は大きく変化した。河川・海岸堤防や下水道の整備、交通基盤の充実など都市インフラの整備に伴い、従来はあまり人が生活しなかった軟弱な低地や丘陵地にも大規模な住宅地や産業施設が進出した。一見安全に見える市街地が形成され、私たち自身その土地が本来持つ固有の災害脆弱性を認識し難くなっている。いわゆる「そんな災害」は日常生活の中で想像できなくなったところに盲点がある。ちょっとした豪雨で浸水する地域には住まないことも生活の智恵であった。木曽三川の河口付近に見られる輪中提や水屋を整備する文化もそうした智恵の一つである。市街地の拡大に伴い様々な防災施設を整備することは必要な反面、災害を未然に防ぐという地域社会が持っていた智恵の低下につながることがいなめない。

 

 過去何度も津波に襲われてきた三陸沿岸地域も同様のことが伺われる。三陸沿岸は1896年の明治三陸津波、1933年の昭和三陸津波、1960年のチリ地震津波と、近代だけでも3度の大津波を経験してきた。集落の高台移転も行われたが、日常生活や経済活動のためには多くの地域は津波防潮堤などの施設整備で一定レベルの安全確保を行ってきた。例えば、2011年東日本大震災で多くの犠牲者を出した岩手県大槌街の沿岸には、震災前に高さ10mの津波防潮堤が建設されていた。避難訓練などでは高台への避難が促されていたが、2011年の大津波の際には、まさかこの堤防を津波が超えることはないだろうとの過信からか、大津波警報が出され避難が呼びかけられても避難しない住民も多く、役場庁舎にいた職員も同様であった。そのため、大槌町の犠牲率は8.1%、浸水区域内に限定すると10.7%と1割を超える住民が犠牲になった。高齢のため避難をためらう住民、支援に回った民生委員や消防団員の犠牲も多く、10mという高さの防潮堤が万能でなく、防御の限界を超え津波が襲来する危険性を事前にどこまで共有できていたかが大きな問題である。

 

 この文を草稿するさなかに「令和6年能登半島地震」が発生し、強い揺れによる建物倒壊、土砂崩落、ライフラインの寸断、そして津波、延焼火災などで大きな被害が発生した。犠牲になられた方々のご冥福を祈るとともに一日も早い復旧・復興が願われる。震源域は日本海東縁部の歪集中帯の一画で、2020年末から群発地震活動が続き十分な警戒が必要な地域であった。耐震化を始め様々な事前の備えがどこまで徹底できていたかどうかが気にかかる。

 

 自然界の猛威は既往最大だけには収まらない。地震や火山活動だけでなく、近年は地球温暖化の影響もあり日本列島各地で豪雨記録を更新している。整備してきた施設の災害抑止力の限界を超えた時に、どんな事態が身の回りで発生するのかを容易に想像できなくなってしまったことが防災を進めるうえでの大きな課題である。構造物などハード面での整備だけでなく、避難など人々の行動面においても、地震動や津波、豪雨に対し整備してきた施設や体制が備えている機能がどこまでサポートしているのか、その限界をきちんと理解し広く伝え、ユーザーなど関係者皆がその限界をしっかり共有しておくことが重要である。そうすることにより、初めて限界を超える外力に対してどう対処するかを考え、具体的な対応につなげていくことができる。

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