寄稿

2024年3月 4日 (月)

限界を知り共有する重要性

                                            -月刊「建設」,Vol.68,2024.3月号に掲載-

 

 人の営みに比べ自然の営みははるかに長い。災害現場に行くと、「長年住んでいてまさかこんな災害が起こるとは思わなかった」とよく耳にする。ここでの「長年」とは、住み始めてせいぜい数十年の人もいれば先祖代々百年、二百年の人もいる。しかし、自然の営みに比べるとはるかに短い。さらに、「起こるとは思わなかった」の言葉の裏には、日々の生活の中で「起きるか起きないか分からない災害のことはあまり考えたくない」との気持ちも交錯している。日本の多くの都市では1950年代から70年代の高度経済成長期を境に都市郊外に市街地が急拡大していった。過去の災害経験を引き継ぐことなく開発が進んでしまったことは、災害に対して人々の想像力が欠如していく大きな要因とも考えられる。

 

 私の住む静岡平野の様子を少し考えてみる。急流河川の安倍川が駿河湾に流れ込む扇状地の扇央付近は標高20m前後で大雨での浸水リスクは低く、地盤は砂礫質で地震時の揺れの増幅が小さい。こうした一帯に既に今川義元の時代には居城が構えられ駿府の町が形成されていた。伏流水が豊富で多くの人口を抱えても水には困らない。約100年前、1918年の国土地理院の旧版地形図を見ると、江戸時代から続く駿府の町割りがそのまま静岡市の中心市街地として発展している。一方、その南や東に広がる広大な氾濫原低地には集落はほとんど形成されず、平野の東に位置する有度丘陵縁辺部の微高地に集落が連なっている。

 

 現在は様相が一変し、軟弱地盤で田や湿地が広がっていた氾濫原低地を含め平野のほぼ全域が市街化区域となり、最低限の遊水機能を残す湿原が市街地の北東部に残るのみである。市街化区域の拡大に伴い下水道や排水機場の整備、浸水常襲地帯を通る巴川の流路改修やバイパスとなる大谷川放水路が整備されるなど、一定の治水対策が行われてきた。ただし、整備目標はこの地の既往最大として記録が残る19747月の七夕豪雨で、静岡市内の時間降水量の最大84.5㎜、12時間降水量508㎜、24時間降水量740㎜である。

 

 20229月の台風15号に伴う集中豪雨で、静岡市内の最大の時間降水量は107.0㎜、12時間降水量404.5㎜、総降水量410.5㎜を記録した。観測地点などが異なり単純比較できないが、七夕豪雨に迫る豪雨であった。堤防の破堤には至らなかったが、かつての水田など低地に拡大した市街地では堤防からの越水や内水氾濫で広く浸水し、あまり警戒していなかったため多くの住民が混乱した。

 

 こうした静岡平野の土地利用の変容は日本の地方都市近郊でよくみられる。日本の高度経済成長期を境に、私たちを取り巻く自然環境は大きく変化した。河川・海岸堤防や下水道の整備、交通基盤の充実など都市インフラの整備に伴い、従来はあまり人が生活しなかった軟弱な低地や丘陵地にも大規模な住宅地や産業施設が進出した。一見安全に見える市街地が形成され、私たち自身その土地が本来持つ固有の災害脆弱性を認識し難くなっている。いわゆる「そんな災害」は日常生活の中で想像できなくなったところに盲点がある。ちょっとした豪雨で浸水する地域には住まないことも生活の智恵であった。木曽三川の河口付近に見られる輪中提や水屋を整備する文化もそうした智恵の一つである。市街地の拡大に伴い様々な防災施設を整備することは必要な反面、災害を未然に防ぐという地域社会が持っていた智恵の低下につながることがいなめない。

 

 過去何度も津波に襲われてきた三陸沿岸地域も同様のことが伺われる。三陸沿岸は1896年の明治三陸津波、1933年の昭和三陸津波、1960年のチリ地震津波と、近代だけでも3度の大津波を経験してきた。集落の高台移転も行われたが、日常生活や経済活動のためには多くの地域は津波防潮堤などの施設整備で一定レベルの安全確保を行ってきた。例えば、2011年東日本大震災で多くの犠牲者を出した岩手県大槌街の沿岸には、震災前に高さ10mの津波防潮堤が建設されていた。避難訓練などでは高台への避難が促されていたが、2011年の大津波の際には、まさかこの堤防を津波が超えることはないだろうとの過信からか、大津波警報が出され避難が呼びかけられても避難しない住民も多く、役場庁舎にいた職員も同様であった。そのため、大槌町の犠牲率は8.1%、浸水区域内に限定すると10.7%と1割を超える住民が犠牲になった。高齢のため避難をためらう住民、支援に回った民生委員や消防団員の犠牲も多く、10mという高さの防潮堤が万能でなく、防御の限界を超え津波が襲来する危険性を事前にどこまで共有できていたかが大きな問題である。

 

 この文を草稿するさなかに「令和6年能登半島地震」が発生し、強い揺れによる建物倒壊、土砂崩落、ライフラインの寸断、そして津波、延焼火災などで大きな被害が発生した。犠牲になられた方々のご冥福を祈るとともに一日も早い復旧・復興が願われる。震源域は日本海東縁部の歪集中帯の一画で、2020年末から群発地震活動が続き十分な警戒が必要な地域であった。耐震化を始め様々な事前の備えがどこまで徹底できていたかどうかが気にかかる。

 

 自然界の猛威は既往最大だけには収まらない。地震や火山活動だけでなく、近年は地球温暖化の影響もあり日本列島各地で豪雨記録を更新している。整備してきた施設の災害抑止力の限界を超えた時に、どんな事態が身の回りで発生するのかを容易に想像できなくなってしまったことが防災を進めるうえでの大きな課題である。構造物などハード面での整備だけでなく、避難など人々の行動面においても、地震動や津波、豪雨に対し整備してきた施設や体制が備えている機能がどこまでサポートしているのか、その限界をきちんと理解し広く伝え、ユーザーなど関係者皆がその限界をしっかり共有しておくことが重要である。そうすることにより、初めて限界を超える外力に対してどう対処するかを考え、具体的な対応につなげていくことができる。

2024年1月30日 (火)

災害時事務分掌の重要性

                                     -研究レターHem21 Opinion,Vol.81,2024.1月号に掲載-

 

 毎年1月になると、阪神・淡路大震災の発生当時の課題が様々よみがえる。印象に残る一つが大災害に遭遇した自治体の行政事務の混乱である。震災当時、静岡県職員であった筆者は、地震後から応援調整のため兵庫県庁に入り、被害の激甚さや行政内部の大混乱に直面した。当時の兵庫県副知事であった芦尾長司氏がぽつりと漏らした言葉が印象的であった。氏の手元には静岡県地域防災計画 東海地震対策編、19801月策定の初版が置かれていた。発災直後の早朝、災害対策本部の会議を開こうにも幹部職員がほとんど集まってこない。そんな大混乱の中で、これから何が起きどう対処しなければならないのかを考えるため、静岡県の地域防災計画を改めて読み直していた、とのことであった。

 

 当時の兵庫県の地域防災計画には震度7を想定するような大規模地震災害を想定した災害応急活動の視点が欠けていた。実は、芦尾氏は東海地震対策を始動させた1979年頃の静岡県知事公室長として筆者の直属の上司であり、地域防災計画に東海地震対策の対処計画を位置付けるため、大規模地震で想定される様々な事態に遭遇した際の応急対策を毎夜遅くまで議論した一人でもあった。計画策定の最大の懸案は、起きる事態への対処を「だれ」が責任者として対応するのかを具体的に規定することであり、行政機関内部においても議論の多くはそこに費やされた。大規模災害へ対処する法的な枠組みが災害対策基本法をはじめ、まだ十分整っていなかった時代のことである。

 

 一般的な行政事務では、災害時によく言われる臨機な対応は基本的に苦手である。それは、平時の行政事務は基本的に各法に基づく自治事務や法定受託事務が主であり、各部局の事務の所掌範囲は行政組織規則などで細かく規定されている。そうはいっても、目的を達成するための若干の裁量権は事務遂行上でも認められてはいるが、なかなか普段の行政事務の中では基準のない執行行為を担当者の裁量では行わないのが一般的である。そういう平常時の視点で物事を考えると、災害、それも普段はあまり意識していないとてつもなく大きな混乱が生じる激甚災害に遭遇すると、裁量権の行使まで思考が及ばなくなってしまう可能性がある。こうした事態を回避するためにも、平時から災害時に起き得るあらゆる事態を想定し、その対処には行政事務のどのような制度を活用し、どこの組織がどの時点で対処するのかを定めた具体的な対処計画を策定しておくことで、初めてさらに枠を超えた対処にまで対応が動き出せる。

 

 静岡県が東海地震対策を推進する初期の段階で、予め事態を想定し対応主体を決めていく作業はとても重要であった。さらに、兵庫県を始め、阪神・淡路大震災の被災自治体に多くの職員が応援に入り、その経験から静岡県で早速取り組んだのが19957月に策定した300日アクションプログラムである。あらゆる災害応急対応業務を大きく30項目に整理し、300日で総点検し、個々の災害応急業務を極力マニュアル化する作業であった。例えば応急仮設住宅の建設戸数確保や早期建設の為、民有地も含めた建設可能予定地を可能な限りリストアップし、建設可能戸数だけでなく可能なものは配置レイアウトまで準備してデータベース化した。その後、こうした点検結果をもとに災害応急事務の業務分析を行い、約2年をかけて全庁的に所属毎の災害時の事務分掌を事細かく定めて地域防災計画に規定していった。こうした作業を通じ、普段は必ずしも防災や危機管理を意識してない部局であっても、災害時に自ら対処すべき業務が見える化された。

 

 災害時に発生する様々な業務を予め分析し、実施主体を明確にしたうえで対処計画にまとめておくことができれば、事前の準備も可能になる。さらに、災害時に思いもよらない新たな事態が発生しても、そこに対応できる組織の余力が生まれる。何もない平時こそ、こうした議論を積み重ね準備しておくことが重要である。近年は、企業や行政機関においても災害時の事業継続計画(BCP)の策定が検討されるようになった。こうした検討に併せて災害時の業務分析を全組織で行い、災害時の事務分掌として規定しておくことを、企業や組織のトップはぜひ意識して進めておかれたい。

                 

                               阪神・淡路大震災記念 人と防災未来センター 上級研究員 岩田孝仁

2023年9月13日 (水)

静岡県立大学グローバル地域センター リレーコラム 「大東京復興双六」100年前、子供たちの震災復興に込めた思い

 私の手元に、大正時代に出版されていた小学生向け月刊誌「良友」(コドモ社)の大正1411日発行の新年号付録の「すごろく」(複製)がある。100年前の関東大震災の発生からわずか14か月後、東京の下町にはまだ震災の惨禍が残る年の正月に出版されたもので、「大東京復興双六」と記されたタイトルが目を引く。作画は童画家の河目悌二氏である。「フリダシ」では、関東大震災で壊滅的な被害を受けた墨田川沿いの地図を背景に女子2人が何か相談事をしている。以下順に各マス目の記載を追ってみると、震災からの復興を願い、子供たちから届けられたアイデアがふんだんに盛り込まれていて、今にも通じる斬新な発想に驚かされる。

 

フリダシ (墨田川沿いの地図を背景に何か相談事をする2人の女の子)

1.地下鉄道 エレベーターで地下鉄道へ(大深度空間を走行する地下鉄道)

2.高架電車 (ビルの上方に掛かるつり橋状の高架橋を電車が走る)

3.空中散水機 (大きな水槽を内蔵した飛行機が上空から空中消火を)

4.大道路 (街路樹で囲まれた広幅員の道路が広がる街)

5.屋上プール (ビルの屋上プールで楽しそうに遊んでいる大人や子供たち)

6.水の公園 (満々と水をたたえた湖に船が浮かび、水中には遊覧の潜水艇が運行)

7.廻転橋 大きな汽船が通る時クルリと橋が廻ります(隅田川に掛かる橋をイメージしているのか、人が歩行するタワーブリッジと大型船が通る時に回転する車用の橋桁)

8.ラジオで音楽 どこでも聞かれる便利なラジオ

9.月世界行き 新発明の単軌飛行車(ワイヤーを伝って月と行き来する乗り物)

10.大グラウンド (近代都市の中に造られた広大な競技場 いざという時の避難広場)

11.白昼活動写真 雲に写った活動写真(上空の雲をスクリーンに映画鑑賞)

12.屋上発着場 (ビルの屋上に離発着する飛行機)

13.懐中電話 歩きながらお母さんとお話し(ショルダー型の電話機で散歩しながらおしゃべりする子供)

14.大マーケット 汽車や汽船やお家まで(汽車や汽船、家まで販売する巨大ショッピングセンター)

15.乗合飛行船 ロンドン行き乗り場(ロンドン行きの飛行船乗り場)

上り (広々とした道路に面してゆったり立ち並ぶモダンなビル群、復興した街並みが描かれている)

                                        ( )内は筆者が解説として付記

 

 ここに描かれている復興の姿には、関東大震災で市街地が広域に焼失し多くの犠牲者を出した震災被害をどうしたら回避できるのか、その教訓がうまく表現されている。3マスの航空機による空中消火、56マスの水源となるプールや湖は消火体制の確保の願いが込められている。4マスの大道路は延焼遮断帯や避難路の機能が盛り込まれ、1マスの地下空間や6マスの水の公園、10マスの大グラウンドは広域避難スペースがイメージされる。8マスの携帯ラジオや13マスの懐中電話は災害時に正しい情報の収集や家族との連絡手段の確保の重要性を意識したものであろう。 

 

 自由主義的な風潮が華やかな大正デモクラシーの時代背景が垣間見え、子供達が思い描く大震災からの復興への期待や希望がうまく表現されている。延焼遮断帯や空中消火、携帯電話や月面旅行など、今に通じる斬新なアイデアに感心させられる。

 

 地震国と云われる日本でも「大震災」と名が付くのは、1923年(大正12年)の関東大震災、大都市神戸などが震度7の激震に見舞われた1995年の阪神・淡路大震災、そして大津波で多くの犠牲を出した2011年の東日本大震災の3事例しかない。こうした中、近い将来、発生が危惧されている南海トラフの巨大地震は、想定されている災害規模のまま今起きてしまうと、確実に「大震災」と呼ぶことになってしまう。

 

 最近では災害の被害軽減のためには、予め復興の姿を描き、対応できることは事前に対策を実行しておく、いわゆる「事前復興」の考えを防災対策に取り入れることが求められつつある。ここに紹介した復興双六は、大都市の延焼火災の防止を強く意識した復興の姿をイメージしている。一方、南海トラフの巨大地震は市街地を襲う激しい地震動、さらに沿岸を襲う大津波と中山間地域の土砂災害である。犠牲者を減らし被害を軽減するためには、こうした災害であっても被害を受けにくい街をしっかりイメージし、その実現に向けて予め実行できることは確実に進めておくことにある。

                                                  (202391日 岩田孝仁)

                                  https://www.global-center.jp/column/column1/20230901/

2023年2月16日 (木)

2022年の台風第15号が残した課題“県と市町村の連携”

                                   2023.1月 日本災害情報学会News Letter No.92 p.2に掲載-

 

 昨年、静岡県内を襲った台風第15号の対応をめぐり、自衛隊災害派遣要請の遅れを問われた静岡県知事は、「市町から(要請が)あがってこなかった。じりじり待っていたので今日(2日後)になった」、一方の静岡市長は、知事と相談するにも「携帯番号を教えてもらっていない」、対して知事は「番号を教え合う文化は私にはない」と答えるなど、自治体トップ双方の意思疎通のなさを象徴するやり取りが全国に報道され、あきれるばかりであった。

 

 9月23日の夕刻から24日明け方にかけて、台風第15号の影響により静岡県内では猛烈な雨が降り、記録的短時間大雨情報が16回発表された。当初は、静岡市内の広域停電や浸水、断水に目が向き、中山間地域で起きていた家屋への土石流入や河川閉塞などの状況把握が遅れた。翌朝は台風一過の晴天で、本来であれば航空偵察で状況把握も行えた。残念ながら、台風の勢力はあまり発達しないとの前日の予報もあり、十分な準備がなく、周辺一帯が浸水したヘリコプター基地に要員がすぐに参集できなかったことも問題になった。

 

 災害時こそ、都道府県と市町村の緊密な連携は不可欠である。例えば、被害が予見されれば、初動段階で都道府県からリエゾンを市町村に派遣しプッシュ型の支援を行う。自衛隊の支援を受けてでもヘリで航空偵察を行い、被害全容の把握や孤立地域への救援も可能である。

 

 東海地震など大規模災害に備え、様々準備していた静岡県であったが、今回その運用に至らなかった事がいくつかある。例えば、県内の370余の孤立予想集落には、防災無線や衛星携帯電話を配備し、陸路途絶に備えヘリの離着陸又はホイスト・スペースが確保されていた。にも拘わらず、孤立地域の状況把握に23日を要している。何が不足情報なのか、自ら発信しないと情報は集まらない。県から市町村本部にリエゾン派遣の体制もあったが、被害を甘く見たのか直後には実施されなかった。いずれも、準備してきたはずであるが、実態に合わせ常日頃からメンテナンスされていなかったことも一因である。

 

 災害対応に完全はないことを肝に銘じ、災害時には何事にも積極的に前のめりに対応を進めることが鉄則であることを改めて感じさせられた。

2022年6月 8日 (水)

想像力の欠如に陥らない防災を目指して

                                         -Hem21 Opinion,Vol.71,2022.5月号に掲載-

 

人の営みに比べ自然の営みははるかに長い

 「長年住んでいるがまさかこんな災害が起きるとは思わなかった。」災害の現場でよく耳にする言葉である。ここでいう「長年」とは、住み始めてせいぜい数十年の人もいれば先祖代々百年、二百年の人もいる。しかし、自然の営みに比べるとたかがしれた期間でしかない。もう一つ「起きるとは思わなかった」の言葉の裏には、日々の生活の中で「そんなことは考えたくなかった」との気持ちが交錯している。

 例えば、静岡県を流れる天竜川中流の山間地の急峻な斜面に数百年の歴史を持つ集落が点在している。現地で調査を進めると、地すべり末端の崖錐堆積物の緩傾斜の斜面上に位置し、かつての土砂移動で集落の位置も移転した痕跡が残る。日当たりは良く土地は肥沃で湧き水も豊富、平家の落人集落との言い伝えもあり、地元の人は何百年も住んでいてここは安全であると話してくれた。人の営みに比較して自然の営みははるかに長いことがうかがわれる。

 

高度成長期を境に郊外に市街地が急拡大

 第2次世界大戦の惨禍を経て、戦後間もなくの日本列島は、都市近郊の森林は伐採され国土保全施設の整備が遅れるなど、国土は荒廃しきっていた。その付けからか、戦後すぐに大きな水害や地震災害を何度か経験することになった。これを契機に、1947年に災害救助法、1950年に建築基準法、1961年には災害対策基本法など、災害の予防や応急対応の法整備に至った。

 一方で、戦後の高度成長を支えるため、日本の多くの都市では、産業用地や住宅用地を都市近郊の郊外地に求め、市街地は急速に拡大していった。このことが後に述べる災害に対しての想像力の欠如に至る大きな要因と考えられる。

 

静岡平野を事例に解説

 現在、私が住んでいる静岡平野の様子を少し解説する。急流河川である安倍川が静岡平野に流れ込む扇状地の扇央から扇端付近は、標高20m前後で洪水などの浸水のリスクはあまりなく、地盤は礫主体の砂礫で地震時の増幅が小さい。こうした一帯に既に今川時代には居城が構えられ、徳川の時代には駿府の町が形成された。伏流水が豊富で多くの人口を抱えても水には困らない。約100年前、1918年の国土地理院の旧版地形図を見ると、江戸時代から続く駿府の町の骨格がそのまま静岡市の市街地として発展している。一方、その南や東に広がる広大な氾濫原低地には集落はほとんど見られない。その東に広がる有度丘陵の縁辺部の微高地に集落が連なる程度である。毎年発生するであろう豪雨で、常に浸水のリスクにさらされている地域に集落はほとんど形成されていなかった。

 現在の静岡平野は様相が一変している。平野のほぼ全域が市街化区域に編入され、地盤が軟弱で従来は田や湿地が広がっていた氾濫原低地は、ほぼ市街地に姿を変えた。一部、最低限の遊水機能を残す湿原が市街地の北東部に残るのみである。市街化区域を拡大するにあたって、下水道の整備や浸水常襲地帯を通る内陸河川にはバイパスとなる放水路を整備するなど、一定の予防対策が行われた。ただし、整備目標はこの地の既往最大として記録が残る19747月の七夕豪雨(時間降水量の最大84.5㎜、12時間降水量508㎜、24時間降水量740㎜)である。

 

防災施設の整備が想像力の欠如を起こす盲点に

 ここで紹介した静岡市の土地利用の変容は、日本の都市近郊でよくみられる市街地の拡大の様子そのものである。日本の高度成長期を境に、私たちを取り巻く自然環境は大きく変化してきた。河川・海岸堤防や下水道の整備、交通基盤の充実など都市インフラの整備に伴い、従来はあまり人が生活しなかった、むしろ住めなかった軟弱な低地や丘陵地にも大規模な住宅地や産業施設が進出し、一見安全に見える市街地が形成されてきた。決して悪いことではないが、私たち自身が、その土地本来が持つ固有の災害脆弱性を認識し難くなっている。いわゆる、「そんな災害」は日常生活の中で想像できなくしてしまったところに盲点がある。

 ちょっとした豪雨で浸水する地域には住居を構えないことも、人が生活していく上での智恵であった。木曽三川の河口付近に広がる輪中提や水屋の習慣もそうした智恵の一つである。市街地の拡大に伴い、こうした災害を未然に防ぐという、地域社会が持っていた智恵が低下してきている。

 一方で、自然界の猛威は既往最大ではおさまらず、近年は日本の各地で次々に記録を更新している。整備してきた施設の災害抑止力の限界を超えた時に、どんな事態が身の回りで発生するのかを、容易に想像できなくなってしまった。このことが防災の大きな課題である。

 防災社会を築くためには、生活者自ら、さらに組織として様々なリスクに対して想像力の欠如に陥らないことが重要である。そのために、必要なスキルと情報を社会全体でしっかり育成していくことが求められている。

                 

                               阪神・淡路大震災記念 人と防災未来センター 上級研究員 岩田孝仁

 

 

 

 

2021年12月17日 (金)

災害対策基本法を地域から見ると

                                    -CIDIR ニュースレター 2021.12.1 第53号に掲載-

 

 私が災害対策基本法(以下「災対法」)と関わり始めたのは静岡県で東海地震対策に取組んだ1979年からのことで、42年目のお付き合いになる。

 

 60年前の災対法の制定にあたっては、災害対策全般の体系化を図る必要から、主な内容の第一に「防災責任の明確化」があげられ、第3条から7条には、国、都道府県、市町村、指定公共機関、住民等の責務の考え方が規定されている。例えば、国は計画や法令に基づいて災害対策を実施し、地方公共団体などとの総合調整、さらには経費負担の適正化を図るとされ、都道府県は災害対策の実施、市町村などへの支援と総合調整を行うとしている。一方、市町村は調整機能ではなく、基礎的な地方公共団体として防災対策を実施する責務を有するとされる。

 

 1995年の阪神・淡路大震災以前の法改正は必要最低限の事項にとどまっていたが、この震災や2011年の東日本大震災以降は災害対応の実効性を高めるため、役割をさらに明確にし、防災対策の具体的措置にまで踏み込んだ法改正が頻繁に行われている。

 

 近年の災害教訓では、いざ災害に遭遇した時の避難行動など、個人や地域での取組みが命運を分かつ事態になることから、住民一人一人の行動とともに、直接住民と接している市町村の役割が一層重視されるようになってきた。こうした傾向は法改正の中にも表れ、例えば、東日本大震災を受けた改正では高齢や障害などで津波や洪水など緊急時の避難行動が不自由な、いわゆる「災害時要支援者」の避難支援のため、要支援者の名簿作成が市町村に義務化され、さらに昨今の大規模水害の教訓から要支援者個々に個別避難計画の作成が市町村の努力義務とされるようになった。

 

 国レベルでの取り組みは全国的な応援調整が主で、こうした個々の要支援者への対応は地方自治体、それも基礎自治体である市町村への負荷が増してくる。いわゆる事前の災害予防に重きが置かれるようになってきたが、こうした負荷を軽減するためには、国の役割として単なる旗振りではなく、防災の専門人材を自治体が普段から抱える際の財政支援や人材育成にも積極的に踏み込んでいく必要がある。

 

 さらに、現在の災対法は、起きてしまった災害やまさに起きようとしている災害への対処が主となり、災害が起きないようにする災害予防の分野がまだまだ弱い。近年の地方都市では都市郊外の遊水的機能があった場所にも市街地が拡大するなど、災害に対して元来脆弱な地域に多くの社会基盤を抱えるようになってきた。こうしたことが災害の特異化を引き起こしている。また、2021年7月に熱海市で発生した泥流災害は、ある意味で違法的な状態にあった大量の盛土が崩落し、行方不明1名を含む27名の尊い命が犠牲になった。こうした特異な災害に対し、災害を未然に予防するという視点から災対法にも一定の役割を持たせることができないかと強く考える。

 

 災対法第2条の2では、防災とは「災害を未然に防止し、災害が発生した場合における被害の拡大を防ぎ、及び災害の復旧を図ることをいう」と定義されている。いわゆる災害の予防・応急・復旧(復興)のサイクルの中でも、特に災害の未然防止については一地方の努力だけにゆだねず、災対法の中で、国の権限も伴って強く是正することを考えるべきではないか。

 

 行動の自由が保障されている日本国憲法の中でも、あえて命を守るための強制退去が災対法第63条では市町村長の警戒区域設定権として規定されている。災害が発生、又はまさに発生しようとしている場合には、命を守るため、市町村長は警戒区域を設定して立入りを制限・禁止、又は退去を命ずることができ、ある意味、個人が自由に行動する権利を制約することを可能としている。制約の内容は異なるかもしれないが、災害予防という視点では、災害となる危険性が極めて高い土地からの事前退去や原因となる区域等の撤去など、災対法でも災害の未然防止に踏み込める余地は数多く残っているのではと考える。

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